06.06
ひさびさに日記をつけることにした。なのに日記に書けないことばかりだ。書けることだけ書く。
5月31日
恋人の命日だった。
5月31日
恋人の命日だった。
3月31日
お墓に行くと、人がいた。
親族の方だろうかと思って身構えていると、一つ次の列のお墓の手入れをしに来た方だった。わたしがお花の水を変えて帰ってきたとき、挨拶をしてくれた。
「いつもきれいにされていますね、見習わせていただきたいです」というようなものだった。
しどろもどろに、ここはわたし以外の方も来てくださるのできれいなのです、と答えた。その方は笑顔を消して、何か悪いことを言ったのではないか、というような空気が漂った。
まずいことをした、と思った。
でも、ほんとうのことなのだ、わたしは月命日の31日だけにここに来るだけで、お花が少しも萎びていないのは、血縁の方が手入れをしてくださっているからなのだ。わたしなどが褒められるべきではなかったのだ。
8月2日
まだ可能性があると言われているのが怖い。まだ、という言葉。本当に可能性がある人間にまだという言葉は使わない。わたしはなんにもなれないと幼い段階でうっすらわかっていたのです、それなのに、わたしはなにかになれるとみんなに思ってもらいたかったのです。若くして死ぬことはそれを叶えることだった。なんでずっとこんなに死にたいのか突き詰めて考えるとそうだからである気がする。小学校から帰ってくるとリビングの黄色いカーテンの中がわたしの居場所だった。そこでたくさん本を読んだ。埃を吸った重い布に包まってわたしが死んだら世界はどうなるのだろうと想像していた。閉じた瞼の内側はあたたかな橙色だった。
7月3日
金継ぎをしたお茶碗が粉々に割れた。この世は一回でおしまいにならないよって自分に教えるために金継ぎの教室に行ったのに、だめだった。割れたところだけじゃなく、目に見えないヒビがいっぱい入っていたんだ。こんなのわたしといっしょだね。病気を治してきれいに繕っても目に見えない傷がいっぱい入ってて、ぶつかるとすぐに壊れてしまう。使い物にならなくなる。いつも。家にいると憂鬱で仕方がないので買い物をしてしまう。インターネットで、池袋駅で。クレジットカードの請求が17万円きた。お金をかけて麻酔を打ってそれでも生きている意味ってなんだろう。人を傷つけてまで生きている意味ってなんだろう。そうしないと生きていけないのはどうしてだろう。死ぬ方法はたくさん試した。ぜんぶだめだった。もう怖いものしか残っていない。