mirayume

さら、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって女の子を産むが、その子をアリスと名付けなさい。

06.06

ひさびさに日記をつけることにした。なのに日記に書けないことばかりだ。書けることだけ書く。

高校生のときに書いていた日記を読む。具合が悪くなったらいつも読み返している。結局今のわたしを一番わかってくれるのは過去のわたしで、過去のわたしを一番わかってあげられるのは今のわたしなのだ。(わかって「あげられる」なんて言うと、あのこは途端に背を向けて走っていきそうだけど)
 
"冷蔵庫に張ってある学校配付のプリント 昨日は過ぎました 明日はまだ来ていません 私たちの前にあるのは今日だけです さあ はじめましょう ほんとうにほんとうにそうなのか 三つは繋がっているのではないのか 呆然と立ちすくむわたしは手首を見てまた痩せたねと言われます" (2009.08.18「泣いたあとちせはとってもかわいいな」)
 
服薬をする。行政書士の勉強をする。家事をする。これくらいしかやれることがないけれど、来週からは銀座で働くらしい。こわい。髪を切らなくてはならない。暗い場所でこんなにも長い黒髪は嫌がられるだろうから。からっぽのわたしはなにをすればよいのだろう。そういえばナナヲアカリの曲には「からっぽ」という単語がたくさん出てくる。今日は行政事件訴訟法の問題を解いて、彼氏が帰ってきたからいっしょに成城石井の黒糖ゼリーを食べて、シチューを作って、食べた。それにしても日記を書くのはこわい。こわい。

5月31日

恋人の命日だった。


朝から発狂していて彼氏とナイフを取り合ったりしていたけれど、恋人のご両親と会えることが分かると途端に元気になった。
妹さんから「3時にお墓集合!」というLINEが来て、笑ってしまう。
あれこれと服を着替えていて遅刻しかける、湘南新宿ラインに乗る、目の前でお墓に向かうバスが行く。
仕方ないからタクシーで向かっていると、恋人のお母さんから電話がかかってくる。
お墓に着いたらお母さんがすでにいて(お父さんはいなかった)窓の外からタクシー代2200円を払ってくださった。

お墓参りをする。曇っていて少し寒い。それでもお母さんが日傘をこちらに差してくれる。その先端が結った髪にひっかかって、とても謝られる。
お墓は雑巾で掃除しないといけないと細木数子が言っていた、と言われたので、わたしは墓石を雑巾で清める。丈の長いマーメイドスカートを履いてきたのは間違っていた。裾を何度も踏む。

わたしは恋人のお母さんをなんと呼んでいいかわからない、「(妹さん)のお母さん」と呼んでいるけれど、長ったらしくて、そもそもわたしは恋人の恋人なのだから、妹さんの名前を借りるのはおかしい気もする。

恋人のお母さんの携帯の調子が悪いので、auショップに行く、auのカードを使って、そこから携帯代を引き落とすとお得らしくて、カードを作っていた。黄色い欄は必ず記入する欄。子供は、というところに「ひとりです」と答えていて頭ががあんと殴られたような気持ちになる。携帯ショップではわりかし待ったので、さらちゃんごめんねと言われて、近くのお寿司屋さんに行く。

お寿司屋さんでカウンターに座る。会話の雰囲気が親子ではなかったのだろう。大将に「習い事のご関係ですか?」と訊ねられる。「息子の彼女なんです」と返される。また頭ががあんとなる。「結婚するんですか?」と言われる。「どうでしょうねえ」とお母さんは笑う。カラッとした笑い。それからも茅ヶ崎からは富士山が見える話をしていて、わたしは東京に住んでいるので新幹線からしか見たことがないと言うと「嫁げば毎日見られますよ」と言われる。どんどん胸に針が刺さっていくようになる気持ちと、そうなったらいいなという気持ちがごちゃごちゃになる。ああ、お寿司はおいしい、日本酒がおいしい。おいしい食べ物があってよかった。そうじゃないとわたしはどうかしてしまっていた。

お寿司を食べ終わって、20時ごろ、駅に向かう。湘南新宿ラインの快速が8分にあるじゃない、と背中を押されるように改札の前へ行く。中に入る前に、いつもお墓に来てくれてありがとうと、封筒を鞄にねじ込まれる。初めは断ったけれど、いつも来てくれているから、と言われたので、ありがとうございますと受け取る。

家に着く。ずっとナイフはハンカチに包まれて鞄の底にあった。使うことがなかった。お礼のメールを返そうとしていると先に来る。わたしは少し迷って「お母様」という単語を使う。

5月31日

恋人の命日だった。

朝から発狂していて彼氏とナイフを取り合ったりしていたけれど、恋人のご両親と会えることが分かると途端に元気になった。
妹さんから「3時にお墓集合!」というLINEが来て、笑ってしまう。
あれこれと服を着替えていて遅刻しかける、湘南新宿ラインに乗る、目の前でお墓に向かうバスが行く。
仕方ないからタクシーで向かっていると、恋人のお母さんから電話がかかってくる。
お墓に着いたらお母さんがすでにいて(お父さんはいなかった)窓の外からタクシー代2200円を払ってくださった。
お墓参りをする。曇っていて少し寒い。それでもお母さんが日傘をこちらに差してくれる。その先端が結った髪にひっかかって、とても謝られる。
お墓は雑巾で掃除しないといけないと細木数子が言っていた、と言われたので、わたしは墓石を雑巾で清める。丈の長いマーメイドスカートを履いてきたのは間違っていた。裾を何度も踏む。
わたしは恋人のお母さんをなんと呼んでいいかわからない、「(妹さん)のお母さん」と呼んでいるけれど、長ったらしくて、そもそもわたしは恋人の恋人なのだから、妹さんの名前を借りるのはおかしい気もする。
恋人のお母さんの携帯の調子が悪いので、auショップに行く、auのカードを使って、そこから携帯代を引き落とすとお得らしくて、カードを作っていた。黄色い欄は必ず記入する欄。子供は、というところに「ひとりです」と答えていて頭ががあんと殴られたような気持ちになる。携帯ショップではわりかし待ったので、さらちゃんごめんねと言われて、近くのお寿司屋さんに行く。
お寿司屋さんでカウンターに座る。会話の雰囲気が親子ではなかったのだろう。大将に「習い事のご関係ですか?」と訊ねられる。「息子の彼女なんです」と返される。また頭ががあんとなる。「結婚するんですか?」と言われる。「どうでしょうねえ」とお母さんは笑う。カラッとした笑い。それからも茅ヶ崎からは富士山が見える話をしていて、わたしは東京に住んでいるので新幹線からしか見たことがないと言うと「嫁げば毎日見られますよ」と言われる。どんどん胸に針が刺さっていくようになる気持ちと、そうなったらいいなという気持ちがごちゃごちゃになる。ああ、お寿司はおいしい、日本酒がおいしい。おいしい食べ物があってよかった。そうじゃないとわたしはどうかしてしまっていた。
お寿司を食べ終わって、20時ごろ、駅に向かう。湘南新宿ラインの快速が8分にあるじゃない、と背中を押されるように改札の前へ行く。中に入る前に、いつもお墓に来てくれてありがとうと、封筒を鞄にねじ込まれる。初めは断ったけれど、いつも来てくれているから、と言われたので、ありがとうございますと受け取る。
家に着く。ずっとナイフはハンカチに包まれて鞄の底にあった。使うことがなかった。お礼のメールを返そうとしていると先に来る。わたしは少し迷って「お母様」という単語を使う。

3月31日

お墓に行くと、人がいた。

親族の方だろうかと思って身構えていると、一つ次の列のお墓の手入れをしに来た方だった。わたしがお花の水を変えて帰ってきたとき、挨拶をしてくれた。

「いつもきれいにされていますね、見習わせていただきたいです」というようなものだった。

しどろもどろに、ここはわたし以外の方も来てくださるのできれいなのです、と答えた。その方は笑顔を消して、何か悪いことを言ったのではないか、というような空気が漂った。

まずいことをした、と思った。

でも、ほんとうのことなのだ、わたしは月命日の31日だけにここに来るだけで、お花が少しも萎びていないのは、血縁の方が手入れをしてくださっているからなのだ。わたしなどが褒められるべきではなかったのだ。

8月2日

まだ可能性があると言われているのが怖い。まだ、という言葉。本当に可能性がある人間にまだという言葉は使わない。わたしはなんにもなれないと幼い段階でうっすらわかっていたのです、それなのに、わたしはなにかになれるとみんなに思ってもらいたかったのです。若くして死ぬことはそれを叶えることだった。なんでずっとこんなに死にたいのか突き詰めて考えるとそうだからである気がする。小学校から帰ってくるとリビングの黄色いカーテンの中がわたしの居場所だった。そこでたくさん本を読んだ。埃を吸った重い布に包まってわたしが死んだら世界はどうなるのだろうと想像していた。閉じた瞼の内側はあたたかな橙色だった。

7月3日

金継ぎをしたお茶碗が粉々に割れた。この世は一回でおしまいにならないよって自分に教えるために金継ぎの教室に行ったのに、だめだった。割れたところだけじゃなく、目に見えないヒビがいっぱい入っていたんだ。こんなのわたしといっしょだね。病気を治してきれいに繕っても目に見えない傷がいっぱい入ってて、ぶつかるとすぐに壊れてしまう。使い物にならなくなる。いつも。家にいると憂鬱で仕方がないので買い物をしてしまう。インターネットで、池袋駅で。クレジットカードの請求が17万円きた。お金をかけて麻酔を打ってそれでも生きている意味ってなんだろう。人を傷つけてまで生きている意味ってなんだろう。そうしないと生きていけないのはどうしてだろう。死ぬ方法はたくさん試した。ぜんぶだめだった。もう怖いものしか残っていない。

6月8日

『クー!キン・ザ・ザ』を観に行った。

家に帰って恋人のことを思い出して泣いていたけれど、歌いながらギターを弾いたらよくなった。なにか取り入れるよりなにかを出した方がいい気がする。もういろんなものでいっぱいだから。夕ご飯はさくらんぼにした。